2017年12月31日

卒業設計に取り組む方へ。名大名市大住宅課題合同講評会のお蔵入りレポート

年末年始なんて関係なく卒業設計に取り組んでいる人にエールの意味も込めて、約1年前に行われた名大名市大住宅課題合同講評会のレポートをアップします。
ある冊子に載る予定でしたが、諸事情(内容ではありません)により、お蔵入りとなってしまったものです。

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 名大と名市大の住宅課題合同講評会は数年前から恒例となっているが、今年は双方の大学で取り組む学年や敷地を揃えて行われることになった。講評者も常勤非常勤講師だけではなく、東工大の安田先生や若手建築家の末光さんという豪華ゲストが招かれた。
 理論派チュミのもとで学ばれた安田先生やコンピューター解析を駆使した環境デザインに挑戦している末光さんだけあって、難解なコメントがされるのではと心配していた。しかし、実際は日当たりや眺望、プライバシーといった当たり前で、腑に落ちるコメントが多かったような気がする。もちろん学部二年生のレベルに合わせて頂いたということもあるだろうが、そもそも建築や住宅はそういった基本的要件を満たさずには成立しない。多種多様な条件を丁寧に解き続けた先に初めて見えるものがある。
 昨今の卒業設計イベントを見ているとそういったことを一旦括弧に入れて、前段のテーマやプログラムの新規さを競い、さらには設計者のキャラを問うようなショーになっている感が否めない。もちろん審査員方は括弧に入れたことの重要性はわかっているはずだが、イベントであるがゆえに盛り上げることを重視しているのだろう。僕も何度か審査員をしているが、やはり審査員同士の意見が対立するように自分の立ち位置を調整してしまう。審査する側はそうであっても、聞いている学生はそれを理解しているだろうか。特異なコンセプトを絞り出し、鮮やかなダイアグラムをつくることにウエイトを置いてしまってはいないだろうか。目を引く敷地やプログラムを見つけることに延々と時間をかけ、本来行うべき設計は締切直前に追われるように仕上げている人も多い。実務では敷地やプログラムを選ぶ機会などほとんどないのに、本末転倒である。(もちろん昨今はそういう提案を求められる機会が増えてきているのも確かではある。)
 そのような風潮があるなか、今回の課題は2つの点で批評的だった。
 ひとつは敷地が例年と比較するとかなり難易度が高かったことである。不整形で、高低差も一方向ではなくねじれており、周辺環境も商業と住宅地が入れ替わるような場所だった。2年生に対しては難しすぎるのではという声もあったが、みんな果敢に取り組み、多様な回答を生み出していた。例年はもう少し形式の強い案が、特に名市大において多かったように記憶しているが、今年はそこまで感じられなかった。簡単な敷地で鮮やかな回答を出されても格闘した痕跡が感じられない。アウトプットが多少整っていなくても(もちろん整っていた方がいいが)、敷地や基本的性能と正面から向き合うことが重要である。突飛なアイデアやキレ味のいい図式を見つけることよりも、例えば建物の配置、窓の大きさ、屋根勾配などを少しずつずらしながら検討することに時間を掛けて欲しい。そういった地味なスタディこそ低学年でやるべきで、企画や図式に逃げることを許さない敷地だった。
 もうひとつは窓という部位に焦点を当てたことである。窓は建築の内外をつなげつつわけるという意味でとても重要な要素であり、パブリックとプライバシーという社会的側面を語ることもできる。とてもいいアイテムだが、僕はそれよりもむしろ具体的な部位に着目させたことこそが重要だと思った。極端に言うとそれが屋根や柱でも良い。建築を構成する実際の要素に意識をもたせることで、ここでもコンセプトやダイアグラムに逃げることを防いでいた。
 そもそもコンセプトやダイアグラムが設計に先立ってあるというのは間違いである。設計をすることによって初めてコンセプトがリアリティをもって認識される。ハンナ・アレントを読み解いた山本理顕氏の言葉を借りれば「物化」である。コンセプトをウンウンと悩まないと設計できないのではなく、スタディを繰り返す中からぼんやりとした言葉が少しずつ明確になっていく。あるいは仮定のコンセプトをスタディすることによって成否を問い、その繰り返しによってのみ現出するものである。また山本氏が「リアリティというのは他者と共有しているという実感」と言うように、コンセプトは自分語りであってはならず、他者と共有するためにも客観的なスタディが必要なのである。
 そして、この合同講評会の最大の意義は自分の置かれている環境を相対化できることだ。学内で優秀だと思っていた人が他大学にはもっとできる人がいると感じられたり、その逆もあるかもしれない。また、教員に対しても学内では絶対的な立場で批評をする先生をもっと広い視野で見ると一意見にすぎないことがわかる。いずれにしても自らの中に他者性を持つことが重要だと実感できたのではないだろうか。
 このショー化されない合同講評会が今後も続けられることを期待したい。
posted by moroe at 19:18| Comment(0) | 日記

2017年12月19日

「住まいの環境デザインアワード2018」グランプリ受賞

「LT城西2」が「住まいの環境デザインアワード2018」でグランプリを受賞しました。

http://www.gas-efhome.jp/index.html

クライアントを始め、前田工務店と多くの職人さん、現地審査の度に対応して頂いている管理人Oさんや入居者など多くの方々に心から感謝致します。今回は満室で個室が全く案内できないという状況でしたが、知人のUさんが最近入居して、しかもたまたま審査中に部屋から出てきたので案内することができ、部屋の雰囲気も良かったので大変助かりました。

賞や雑誌掲載は不思議なもので、取りたい、載せたいと強く願うときはうまくいかず、応募したことすら忘れていたり、現地審査も審査員とお会いすることを楽しむぐらいのときの方があっさり決まったりします。地域限定なので取れると思っていた愛知まちなみ建築賞は二次でダメだったし、中部建築賞は一次すら通らなかったのに、全国規模で毎年審査員も入賞者も豪華メンバーの賞でグランプリを頂けるとは身に余る光栄です。

いずれにしても賞を取ったからと言って建築が良くなったり、設計がうまくなるわけではありません。賞を取ることで多くの方の目に触れ、批評や感想を聞けることが何よりの楽しみです。

今回のLT城西2はご存知の通り、名前からして二番煎じです。シェアハウスであることもそうですし、パラパラした屋根も新しくないどころか流行りにすら乗り遅れているかもしれません。しかし、重要なのはプログラムや敷地と構成の齟齬のなさだと思います。新築ではかつてない規模のシェアハウスを程よい距離感で統合し、住宅街に馴染ませるという当たり前のスタディを積み重ね、素直に導き出されたと最適解だと自負しています。

有名建築物と隣接するというのはかなりのプレッシャーでしたが、気負って対抗するシェアハウスの形式をつくったり、あるいはベッタリ寄り添ったりするのではなく、うまくいっているところは引き継ぎ、その上での発展形というか自律したオルタナティブを探りました。

建築家はメディアにあふれる形態や構成をアッセンブルするのではなく、新しい思考のもと新しい空間をめざすべきという批判もありますし、僕もその憧れはあります。(僕はシーラカンス出身ですが、学生時代に見たSD特集のシーラカンス建築用語集「引用」はほんとカッコいいと思いましたが。)しかし、より多くの建物が少しでも良質なものとなるよう底上げすることも重要で、それを担えるのは営利目的の大企業ではなく、地方のアトリエ事務所のような気がします。

そして今回の賞も特殊な人が住むシェアハウスではなく、普通の人が住めるシェアハウスであること、地域の人から奇異な目で見られないことを評価していただいたように思います。

ちなみにこの賞は去年まで小嶋さんも審査員だったので、小嶋さんだったらどんな評価をするのか、見てもらいたかったなとつい考えてしまいます。
posted by moroe at 19:54| Comment(0) | 日記